musical hearts 12
| 12. 癒し系 2001/09/24 | |
ADIEMUSを生で観て、改めて考えてみました。
ずっと前にここのコーナーで、ADIEMUSは究極の癒し系だと書きました。しかし、僕がここで言っている癒しは、世間一般で言われている「癒し系」の「癒し」とは、ちょっと意味が違います。
そもそも癒しの効果というものは、自分の好きな音楽を聴くことで現れるわけです。音楽のジャンルがハードロックでも、ユーロでも、演歌でも、何でもいいんです。好きな音楽を聴きたい、細かく言えば、この人の声が聴きたい、この演奏が聴きたい、このメロディを聴きたい、という欲求を満足すれば、そこに癒しが生まれるのです。僕の言っている癒しとはそういう意味です。世間一般的には、環境音楽(とりわけ、ゆったりまったりとしたインスト曲)や、バラード曲が心を落ち着かせるため、「癒し系」というジャンルで称されるようです。
癒しと「癒し」で、他にも大きく異なるものがあります。癒しの場合、その曲が好きだということから癒しが生まれるはずなので、最初に聴いたときは好きという感情が残るだけで、必ずしも癒されていないことになります(もちろん癒されるかもしれませんが)。僕のケースだと、ADIEMUSの音楽を聴いて、好きになったから、また聴きたい、もう1回聴きたい、と思うようになって、2回目から癒しの効果が出ているのだと思います。一方、「癒し」は1つのジャンルとして使われています。「癒し系」の音楽は、聴いてもいないのに、はなっから「癒し」だと言われているわけです。ちょっと前までは(今もそうかな?)、こういった「癒し」の音楽を寄せ集めたコンピレーションアルバムが次々と発売されましたが、商業主義的な香りがして、好きにはなれませんでした。好きにはなれないCDを聴いていたら、「癒し系」だとしても、癒しの効果が薄れてしまいます。
ではなぜ「癒し系」が売れたのか? それは、「癒し系」に癒される人が多かったからです。と書くと当たり前ですが、何しろ寄せ集めなわけですから、アルバムの中に少なくとも1曲、だれでも聴いたことのある曲が混ざっているわけです。この曲聴いたことあるなぁ・・・そういえばこの曲好きだっけなぁ・・・と思わせるところに癒しを感じさせていたのです。それから、現代音楽の中でこういった「癒し系」音楽は異色な存在であり、今までこの存在を知らない人が聴けば、こんな世界もあったのか、と気づくことができます。気づくことによって、そこから音楽的知の探求が始まります。つまり、「癒し」を知らない人が多かったので、「癒し」が「癒し」として定着したのではないか、と考えられます。僕が「癒し系」という言葉を好きになれないのは、「癒し系」という言葉が、「癒し系」を知らない人から生まれた感じがするからです。でも、「癒し系」の音楽も好きですよ。
ADIEMUSの音楽は、「癒し系」の中でも一際異質なものだと思います。そんなADIEMUSの曲も「癒し系」と認知され、コンピレーションの中に収められました。他にも、多少異質なものが混ざっていました。これは、異質な曲たちが、必ずしも心が落ち着くこと=癒しではないということを、理屈ではなく感覚で訴える力を持っていたからだと思います。そういう意味でも、ADIEMUSは究極の「癒し系」なのではないでしょうか(最後は誉め殺し(笑))。